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「正しい」を考える(広報しもだ 2022.4月号より)

「もしかしたら私は間違っているのかもしれない。」

座右の銘とまでは言わないまでも、このことを常に自分自身に問いかけるよう私は心がけています。

自分は正しいんだ。そう考えてしまうと、それとは異なる考えの人(その人も自分は正しいと思っているとなおさら)と衝突してしまい、争いが起こり、場合によっては戦争になってしまいます。

つまり、自分が正しい、という思い込みは多くの危険性をはらんでいるように思います。

テレビやインターネットなどで毎日のように、タレントや有名人、コメンテーターという人たちがだれか個人を、あるいは企業、団体、政治家、役所などを批判していて、私たちは知らぬ間にそうした「批判的なものの見方」が正当であるように刷り込まれてしまう。そして、何かの時に私たちもつい他者を非難するという行動に出てしまう。他者への批判はとても蠱惑(こわく)的です。そうすることで自分が優位な位置に立つように錯覚する。こうした経験は私自身もあります。

SNSと呼ばれる、インターネット上の仮想空間では危険性はさらに高まります。匿名のままナイフのような言葉が連鎖的に広がり、どんどん肥大化していって、場合によっては、少女を自殺に追い込むこともあります。

では、どうしたらこのような悲劇を避けられるのか。

そこで力を発揮するのが、皆さん一人ひとりの優しさや、許し等ではないだろうかと私は思います。私たち大人は知っています。社会というものは、多種多様な要素が複雑に絡み合っていて、なかには、相互に矛盾する概念をも並列したまま受け入れることも大事だ、ということを。ですから、健全な批判精神を持ちつつも他者への敬意を忘れないこと。それが、コロナで分断されがちな社会においてとても大事なように思います。

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