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伊豆縦貫道と天城越え(後編)

天城越えの意義の二つ目は、その旅のゴールです。天城を越えるとまず河津の湯ヶ野に投宿して旅の疲れを癒すのですが、しかしそこはゴールではなく、目的地は下田なのです。踊り子たちの旅一座も「私」も。それを端的に示す踊子の台詞があります。「ああ、お月さま。明日は下田、嬉しいな。(中略)活動※へ連れて行って下さいましね」。当時の下田は、多くの旅人が惹き寄せられる魅力的な場所であり、大げさに言えばテーマパークのような存在だったのかもしれません。旅人を優しく受け入れる土地柄について「下田の港は(中略)旅の空での故郷として懐かしがるような空気の漂った町なのである」と書かれています。つまり人々が天城を越えるのは、そのゴールに下田というパラダイスがあるからだということです。

そして、三つ目が(これこそが核心と思うのですが)、下田からは船で東京に行ける、つまり、非日常から日常へと戻ることができるということです。一高生の「私」は、多くの悩みを抱えて天城峠を越えますが、旅の中で癒され、ついには再生して、日常の暮らしに戻っていきました。日々の様々な苦しみや生きる悲しみを抱えた人々が天城峠を越えるのは、単なる現実逃避ではなく、自己の浄化や甦生といったとても大切な意義があるのだと思います。

下田街道の起点は三島大社の正面です。その街道の未来形である伊豆縦貫道の整備が進むと益々多くの人がやってくる。伊豆縦貫道は私たち賀茂の住民の利便性向上だけではなく、都市部の人々にとっても心を癒すための重要なインフラと言えるでしょう。

下田で暮らす私たちは、これからも観光をはじめ様々な形で人々の再生を支えることができますし、さらにはそうすることで私たち自身も幸福になれるのではないのでしょうか。

※活動…活動写真。映画のこと。

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