「1984年」という小説がある。学生時代、ある先生から薦められた。その年がちょうど1984年だったこともあった。実際に書かれたのは1948年で、4と8を入れ替えて近未来を描いたSF小説(G・オーウェル作)である。多分読んだと思うのだが、面白さがわからなかったのか、ほとんど記憶がない。
それから四半世紀ほどたった2010年頃、ある小説が大ブームになった。「1Q84」という村上春樹のベストセラーである。「1984年」をオマージュしたものだろうと思った私は、「1984年」を改めて読んだ。すると、今度はとても面白い。むしろ、強い衝撃を受けたのだった。
ビッグブラザーと呼ばれる何ものかに人々が完全に支配され管理された社会(ディストピア)。中でも、今の薄型TVのような大きなスクリーンで会話(というより監視)が行われるところなんて今日のデジタル社会を予言しているようでとても驚いた。
そして、そのときなぜか頭に浮かんだのが手塚治虫の「火の鳥」未来編だった。スーパーコンピューターに支配された未来都市ヤマトで、その命令どおり政府は核攻撃を敵の都市に決行する。ところが、なんと他の全ての都市も同時刻に核攻撃を行い、結局人類は全滅してしまう。間際に脱出した男が超性能ガラスドームに逃げ込むと、それは「生命」の研究に没頭している猿田博士の実験棟だった。
そこで彼らが生命や地球について語り合うシーンが圧巻である。それは科学技術の暴走を危惧し続けた手塚治虫の崇高なメッセージで、今なお胸に迫るものがある。
一方、デジタル化は人口減少社会の要請であり、ChatGPT等の生成AI(人工知能)が急速に拡大している。
高齢者が多い下田市では、最新の超ハイテクと既にあるローテクをバランスよく組合せることが肝要と考える。