来たる3月19日に伊豆縦貫道河津下田道路Ⅱ期の一部区間(河津七滝IC〜河津逆川IC)が開通します。
いよいよ賀茂地域に初めて高速道路が走るわけです。やがて全線が開通すれば、天城峠の北と南との間で人や物や文化など様々なものが今よりもっともっと行き来するようになると思います。
そこで今回は、「天城越え」の本質的な意義について歌や小説を援用して考えてみたいと思います。
石川さゆりの名曲「天城越え」では、「誰かに盗られるくらいならあなたを殺していいですか」と、すさまじい情念で「あなたと越えたい」のが天城峠であり、そんな二人が向かう先は非日常の空間と言えるでしょう。
小説『伊豆の踊子』においても、物語は一高生の「私」が天城峠を越える所から始まります。「道がつづら折りになっていよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながらすさまじい早さで麓から私を追ってきた」。
この、冒頭の見事な一文で、これから非日常の世界へ入っていくことが暗示されます。峠の茶屋で旅芸人一行に合流し、湯ケ野温泉にしばらく逗留して、そののち、もうひと山越えてついに下田に到着する。「私」は路銀が底をついて、彼らに別れを告げ、汽船で東京に帰るというほんの数日間の短い物語なのですが、このノーベル文学賞に結実した作品においても、「天城を越える」ということは大きな意味を持っています。
一つ目は、前述のとおり、日常から非日常への逸脱あるいは逃避というもので、ここでは天城峠があたかも結界のように意味づけられています。川端康成は別の論説において、伊豆を南の楽園のように表現しており、さらに、「天城峠の南で南国に出会わすひと時は、とりわけ伊豆の旅情である」とまで言っています。
(続きは次号にて)